水蒸気と降水の同位体比の研究

 

 降水の三酸素同位体組成(17O-excess)

一般的な降水の分析では酸素18(18O)の同位体比を測定します。酸素17(17O)の同位体比を高精度に分析することで、18Oからの過剰量(17O-excess)を計算すると、湿度が復元できることが理論と実験から予測されています。実際に海の上の水蒸気の同位体比を分析すると17O-excessと相対湿度の間には強い逆相関が観測されています(Uemura et al., 2010)。しかし、最近の研究では、南極や乾燥地域の降水・降雪の17O-excessの測定結果は蒸発時の相対湿度を反映していないことが分かってきていました。この研究では、沖縄の降水の17O-excessを測定し、その変動が単純に蒸発時の湿度で決まっていることを明らかにしました。この結果は、亜熱帯・熱帯のような湿潤地域の鍾乳石の流体包有物などから過去の相対湿度が復元可能なことを示しています。


〇論文⇒ (Uechi and Uemura, Earth and Planetary Science Letters , 2019)。琉球大の上地さんが修論で頑張った成果です

   →Uechi and Uemura (EPSL, 2019)のJpguでの発表スライドのpdf

 

 水蒸気の同位体比観測

 

 

降水の酸素(δ18O)と水素(δD)の同位体比を分析することで、”d-excess(=δD-8×δ18O)"という指標を計算することができます。一般的には、d-exccessとは、「天水線からの切片のずれを示した指標で、水蒸気起源の湿度や水温の指標で起源推定に利用できる」という説明がされています。

この概念自体は、ダンスガード・オシュガーイベントで有名なDansgaardが1964年の論文で示したものです。この原論文には"The surplus of deuterium relative to L is in the following denoted by d"と書いてあって、d-excessやdeuterium excessという表現はありません(!)。私も英語学術論文で書く場合はdと書くことが多いです。日本では。d-excessという表現が多く使われています(海外でも通じます)。

この初期のd-excessの定義(Dansgaard, 1964)は定性的な議論でしたが、Merlivat and Jouzel (1979)は、地球全体で成立するであろう蒸発した際の海洋の状態(相対湿度、海面水温等)と降水をもたらす水蒸気の関係を理論的に考察しました。このモデル計算に基づいて、例えば南極アイスコアのd-excessから水蒸気が発生した南半球中低緯度の海洋環境変動を復元する研究もおこなわれてきました。

ところが、これはあくまで多くの仮定に基づくモデル計算による予測で、現実の海洋上での大気中の水蒸気のd-excessが海上の相対湿度や水温と相関関係がどの程度あるのか?は検証されていませんでした。そこで、ポスドクの時に海鷹丸という船に乗せてもらって南極海の水蒸気の同位体比と海面の観測を行いました。水蒸気採取装置を船内で自分で組み立ててひたすら採取するという地道な観測作業でした。

測定結果は、驚くほどきれいな負の相関がd-excessと相対湿度の間にあることが分かりました(あまりにきれいな相関なので何か計算ミスか実験ミスを疑って2日ほど色々な角度から検証したのを覚えています)。つまり、実際の海洋でも、d-excessは表面での蒸発強度の指標として十分に有効であるということが、この研究から分かりました。その後、色々なグループが同種の研究を色々な地域で実施していますが、d-excessと相対湿度の逆相関はどの海域でも観測されています。

 

〇論文⇒ ( Uemura et al., JGR, 2008) editor's highlight

 

この研究をAGUで発表した時にある先生が「教科書を書いた時にこういう研究を探したのに見つからなかった。これは初データじゃないか?!」と言われてうれしかったです。なにせ、この観測のモチベーションはまさに「教科書にあるべきデータが無い」から、だったからです。

コペンハーゲン大学のセミナーで発表した時には、故Sigfus Johnsenさんが大変興奮してコメントをくれました。その場では何を言っているのかよくわからなかった(笑)のですが、セミナー後にSigfusの部屋に行って話を聞くと、彼は何やら書類の山をずっと漁っていました。そして、黄色く変色した手書きのグラフ用紙を見せてくれたのです。なんと1980年代頃にSigfus自身が当時のボスのDansgaardに言われて海岸(アイスランド?)で水蒸気同位体比を観測した結果でした。(Dansgaardはダンスガード・オシュガーイベントのダンスガードです)。

Sigfusのグラフは、まさにd-excess vs 相対湿度のプロットで私の観測結果と傾きまで近いデータでした。つまり、Dansgaardはちゃんと自分の説を検証しようとして、観測までやっていたのです。しかし、このデータは公表されませんでした。Sigfusによると「こんなに負の相関がきれいなのは何かが間違えている」とDansgaardに言われて発表できなかった(!)とのことです。自分でd-excessを定義したのにサポートする結果を発表しないとは何だかよく理解できませんが、現実は小説よりも奇なりです。一方で、私自身も、自分の観測結果を見た時に「何かが間違えている」と思って必死で検証しました。そういう点では気持ちが分かる部分もあります。Sigfusさんは、私が琉球大学に赴任した時には、ご夫妻で沖縄にも来てくれました。その他にも多くの不思議な縁のようなものを感じた研究でした。